2023年9月9日〜11月12日まで福岡市美術館で開催された
展覧会「日本の巨大ロボット群像 -巨大ロボットアニメ、そのデザインと映像表現-」
開催初日にメカニックデザイナーの宮武一貴氏が来福して催された記念講演会のレポートです。
記念講演会「日本の巨大ロボット群像とは」講師:宮武一貴(メカニックデザイナー)
登壇者(敬称略)
・宮武一貴(メカニックデザイナー)
・山口洋三(福岡アジア美術館学芸課長)
講演会は、宮武一貴氏の生い立ちから、各作品との関わりについて振り返る内容でした。
仮面ライダー
石森プロから、仮面ライダーのサイクロン号の図解を描いて欲しいとの依頼があった。きっかけは宮武氏が描いた「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の三面図。当時は、大伴昌司(おおともしょうじ)氏の怪獣の図解があったが、もう少し発達したものと依頼があった。
マジンガーZ
エンディングで使用されたマジンガーZの内部透視図。きっかけは宮武氏が描いた「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の三面図。同じスタジオぬえ所属の高千穂遙(たかちほはるか)氏が、当時「永井豪ファンクラブ」の会長だった事もあり、永井豪の目に留まり、これが描けるなら図解書けるよねと依頼される。
ゼロテスター
宮武氏はテスター1号機のデザインを担当。人手が足りなのでメカが描ける人を探していると面談をしてくれたのがサンライズの前身(創映社)の沼本清海(ぬもとせいかい)氏。
何でもいいからメカの絵を持ってきてと言われ、宮武氏は200枚持っていった。
宮武氏の原稿を見た途端に、沼本氏の目つきが変わり次々に原稿をチェック。そして、「君に頼む」と即決。沼本氏から「君は絵が下手すぎる。他のスタッフに見せられない。書道を捨てなさい。書道の描き方は絵ではない。」と指摘される。宮武氏は独学で技法を習得した為、線が曲がっていることに気づいていなかった。「線を引けるように練習しなさい。」と言われ、平行線・放射線を練習。
その後、沼本氏から「もう一回テスター1号を描きなさい。」と言われ、描いたテスター1号見せに行ったが、既に沼本氏はタカラの開発部門に移っていた。沼本氏からは「新しい商品のデザイン(後のミクロマン)に関わってもらう。ゼロテスターの仕事もやってもらう。」とまさに怒涛の展開。
宮武氏は、「今日の自分があるのは沼本さんのおかげ。」と述懐している。
宇宙の戦士
パワードスーツの概念の新しさに感動した。ハイラインの問題点は、ハイラインは文章の人。小説にはパワードスーツの絵を思い浮かべられるヒントがない。何十回も読み返した結果、たった1箇所、「鋼鉄製のゴリラ」のヒントから創作。腕が長い。二足歩行。膝が前に出てるなどゴリラの要素を書き出した。腕が構造的に一番壊れやすいだろう。その腕を守るために装甲で包むデザインにした。
当時、SFファンの集まりがあって、そこで意見を聞こうとパワードスーツのデザイン案を持ち込んでみた。そこで文句言ってくれたあるSFファンの方がいた。彼は「こんな金属のゴリラのような格好。説得力はあるけれど、これは軍人なんだ。ゴリラのような股で足首をつけて立って敬礼することができるか? 軍隊で許されるわけがない。」と指摘した。
宮武氏は、その指摘を予想していた。デザインするにあたって、予め自分の体を測定して、自分の股間にどのくらいの構造物が挟まっているか調べた。足は合わせられないけど、足首は合わせられる。自分の股間に握り拳を挟んで、起立して敬礼することができる。従って、宮武氏がデザインしたパワードスーツは敬礼もできる。と返答した。
宮武氏は検証を重ね、現実的な根拠に基づいてデザインをされていることがわかるエピソードです。
超時空要塞マクロス
マクロス艦(SDF-1)について
<なぜこんな緻密な設定が描けるのか?>
演繹法と機能法の複合体で自然にディテールが詰まってくるものなんです。あとは直感で詰めていく。
<居住ブロックのリアリティの出し方>
足の部分に避難民を収容するブロックとノズルの推進器、あとはがらんどう。マクロスの足は歩けない。居住ブロック=街はどのくらいの大きさなのか? 当時、阿佐ヶ谷駅から中杉通りを実際に歩いて測量して、建物や商店のリストを一日かがりで作った。これだけの商店があれば、2万人が生活できる空間を収めることができると実証した。
ヌージャデル・ガー(ゼントラーディーのパワードスーツ)
腕が被弾すると兵器として終わりなので消耗を防ぐデザインにした。ゼントラーディー兵が迫撃砲のグリップを握るので腕が固定されている。腕を固定したまま走れるのか自分で調べようと、当時スタジオぬえの側にあった石神井川で、夜中に手を固定して足だけで実際に走れるか検証した。
巨大絵画(巨大ロボットを巨大に描く)
最初はB4用紙に下絵を描いたが、横6mの全長だと比が違って下絵になってなかった。最初から直接キャンバスに描き直すしかなかった。プロジェクターなどの機材は一切使ってない。
ハイライト部の表現に修正液を使って描いている。純粋な画家ではない僕には抵抗がない。基本常識がないので事務用品を使っています。
最後に
予定では90分の講演でしたが、ありがたいことに30分延長し濃密な時間を過ごせました。
最高でした。
それでも宮武氏を語るにはまだまだ時間が足りません。今回はエピソードのほんの一部を紹介しました。
宮武氏が、どういった経緯だったか、登場人物や事柄を丁寧に語ってくださったのが印象に残っています。
数十年前の事をよく憶えているなと驚きました。
宮武氏が描いた魅力的なメカは、様々な検証を基づいてデザインされていることも知ることができました。
宮武氏は、横須賀出身。
今度は横浜でも巡回展が予定されているので、宮武氏の生まれ育った空気を感じながら、
宮武氏がデザインしたロボット作品に触れてみてはいかがでしょうか。