【荒牧伸志編】日本の巨大ロボット群像イベントレポート

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2023年9月9日〜11月12日まで福岡市美術館で開催された

展覧会「日本の巨大ロボット群像 -巨大ロボットアニメ、そのデザインと映像表現-」

9月10日に監督・メカニックデザイナー荒牧伸志氏が来福して催された記念講演会のレポートです。

記念講演会「80年代のロボットアニメ」

記念講演会の立て看板
記念講演会の会場風景

登壇者(敬称略)

・荒牧伸志(監督・メカニックデザイナー)

・五十嵐浩司(タルカス)

講演会は、荒牧伸志氏の生い立ちから、各作品との関わりについて振り返る内容でした。

大学時代

自身でアニメーションを作ろうと決意。本屋でアニメーションの作り方の本を探した。当時のアニメージュに「未来少年コナン」の第一話の絵コンテが付録でついていた。大学の漫画クラブで部員と一緒にアニメーションを自主アニメを制作。部長だった荒牧氏がプロデューサー的な役割で予算を組んで資金調達。20分程度のアニメを制作し大学祭で上映。神戸での上映会の話があり、自主アニメを上映したところ、クオリティの高さに場内騒然。荒牧氏は、その時にプロになりたい。仕事にしようと決意。

この時、1981年(当時21歳)。モスピーダはこの2年後。アニメーションを制作するノウハウを立体的に把握した。

1982年-東京上京-

最初はおもちゃの仕事。タカラのロボットの外注のデザイナー。ミクロマン(のちのトランスフォーマー)のデザイン。変形パターン案はタカラ側で既にあった。当時のタカラの開発担当は、吉祥寺怪人(きっしょうじ かいと)氏。主にディテールなどの制作。

デュアルマガジン(ボトムズ・ダグラムなどのタカラの模型マガジン)のデザインの手伝い。伸童舎の野崎欣宏(のざきよしひろ・当時社長)氏からスカウトされる。デザインが採用されると1枚1万円だが、入っている会社に4割持っていかれる。翌々月末払いなので、当時持っていたレコードを売って生計を立てていた。ボトムズの開発が始まったころ、ダグラムやボトムズのパッケージのラフを頼まれた。発注元は沼本清海(ぬもとせいかい)氏。

82年暮。アートミック鈴木敏充(すずきとしみつ・元タツノコプロ・プロデューサー)氏と出会う。当時、鈴木氏はマクロスの原型になる企画をスタジオぬえと行っていた。「またマクロスみたいなのをやりたい。ガウォークとしてかっこいいものをイマイ(玩具メーカー)が出したがっている。(※注:後のメガロ・ザマックのガウォークファントム)」荒牧氏がデザイン案を10枚くらい持ってくとその場で10万円くれる。羽振りのいい人。採用されたデザインは、ロボダッチのガウォーク島になってた。(笑)

機甲創世記モスピーダ

メカデザインについて

タツノコプロのプロデューサーが入って企画が始まった。アートミック鈴木敏充氏は「マクロスの成功があるので戦闘機をロボットにしよう。」と持ちかける。荒牧氏は柿沼秀樹氏とデザイン思案。当時の荒牧氏は東京での足がないので、200CCのバイクを購入。VT250ホンダは16インチでタイヤが小さい。まとめるとパワードスーツになりそうだとデザイン。鈴木氏から「これいいじゃん!」と採用される。当時は、おもちゃが売れることがアニメ作品の収益源だった。アニメを作る制作費をどうやって回収するか。当時はビデオや配信がないため。魅力あるおもちゃがあればアニメがスタートする。自分たちデザイナーにイニシアチブがあるのが面白い。

玩具メーカーや代理店にプレゼン用に、変形するロボットの木型を大学時代の友人に制作を依頼(友人はバルキリーを木型で制作できる実力の持ち主)。それを持ってプレゼンしたところ、本当に決まった(=後のモスピーダ)。

荒牧氏は上京して半年で主役メカに抜擢される。

メカの商品化

レギウスについては、バルキリー先例があるので問題なかった。

問題はモスピーダ。バイクが変形してパワードスーツになる概念がないので、脚本家もわかっていない。「モスピーダのコクピットから飛び降りた」「いやいや、そもそもコクピットはありませんよ。」って、いくら言っても伝わらなかった。

ある日、おもちゃメーカーの技術者の方が悩んでいるのでミーティングして欲しいと依頼される。そこには試作途中のモスピーダがあり行き詰まっている。学研の担当もいて、「金型代3000万どうしよう。年末商戦いつから。」という話が飛び交う。東京に来て半年で、「3000万」とか言われてやばいと思った。結局、商品の制作は別の老舗に替えることになった。そこの技術者はわかってくれた。時間がほとんどない中、モスピーダは商品になったが、年末までに商品数は揃わなかった。レギオスが先に商品化。

モスピーダは突貫で商品化した為、欠点があった。バイクなのに跨っただけ、ステップがない、ハンドルがない。大河原邦男氏と会合(飲み会)で会った時に、開口一番、「モスピーダはバイク乗れてないじゃないか。」と言われた(会場大爆笑)。「なんで急に大河原さんに謝らないといけないのか(笑)。」

商品は何度もリニューアルされ、マクロスと一緒にロボテックとして海外でも有名。

最近では千値練(センチネル)で商品化。CAD設計は、当時(モスピーダの)悔しい思いをした前野圭一郎氏(T-REX)。当時の設定にない新しい機能もある。

RIOBOT 機甲創世記モスピーダ 1/12 VR-052F モスピーダ スティック(二次再販)
【二次再販】1/12スケール 完全変形「モスピーダ」が再登場! 荒牧氏のデザイン協力の元、アーマーサイクル・ライドスーツをアレンジ。モスピーダを完全変形仕様でT-REXが設計を担当し、商品化。アーマー

メガゾーン23

ガーランド

メガゾーン23実物大ガーランド
デザインについて

大河原氏から言われた痛い一言をなんとか跳ね返したいと荒牧氏が作ったのがガーランド。

最初はモスピーダの後番で企画。1983年はロボットアニメのピークで、みんなロボットアニメを作りすぎて成功した作品がなかったためTVシリーズは頓挫。荒牧氏がアメリカとの合作の制作でロスに渡米中に、新しい企画(メガゾーン)がOVAで決定になったと聞く。

ガーランドは、荒牧氏のベースをもとに柿沼秀樹(かきぬまひでき)氏が最終的にクリンナップ。バイクに乗っている状態でパワードスーツにするには無理があると、ロボットになった時は人は完全にロボットの中に収まるような形にした。バイクの時はライダーが露出してる状態、ロボットの時はカプセル上のコクピットになるのは今までにないアイデアだと思った。全高4メートルないぐらいにしたい。ボトムズのサイズに対抗した。パカっと開くとフィギュアが乗っている。それがいいなと。あのサイズでもっとヒーローロボットっぽくしたい。それが変形したら売れるだろう。それで開発したのがガーランド。

OVAはヒットしたが、変形としての商品はできなかった。ガレージキットで完成度が高いものもあったが、なかなか形にならなかった。ずっと、「ガーランドってかっこいいけど、あれ変形しないよね」って散々言われて、 何も言い返せない。でも理屈ではちゃんと変形するんだけど、ぐらいなことは言うけど、ものがないから何も言えなかったが。

株式会社アルカディア / 1/24 ダイキャストモデル ガーランド

2006年。YAMATO(現アルカディア)で、商品が出てよかった。ガーランドが赤いのは多分AKIRA(アキラ)の赤いバイクが影響。最初の準備稿の時から赤くしてた。

名称について

ガーランドのネーミングの名付け親は柿沼氏。荒牧氏は、ガリアードとかっていう名前をよく設定書によく書いてた。第二次大戦で米軍が使っていた小銃ガーランドライフルから来ているのではないか。がらんどうは後付け。

※ネーミングの由来については諸説あります。あくまで荒牧氏の認識ということで。

劇中での演出

実際の街中に4メートルっていうものがあったら十分大きく見える。その対比として、違和感もある、邪魔にもならない、機能的だっていうところが画面でできるといいなと当時思っていた。実は20メートルとか30メートルって、ビルと対してどーんと大きく書けば、そんなに印象は変わらないけど、4メートルって、アニメーターとしてサイズをリアルに描くのが意外と難しい。

メガゾーンの特に1本目の地下で戦闘するシーンは、庵野さん(庵野秀明氏)や山下さん(山下将仁氏)といった凄腕のアニメーターが描いてくれたので、すごい説得力を持った。 特に庵野さんは、顔のデザインを実際の設定より角ばらせたりディテールを入れたりしてくれた。それを荒牧氏はさらにフィードバックして、庵野バージョンの顔=あごがしっかりしているデザインになっている。 マーケット用の模型なども、色んなアレンジが入ってて、うまく取り入れながら進化している。アニメの中のデザインって生き物だなと思った。モスピーダの頃はそこまで入れなくて残念だったのはある。 デザインとしては完結するけど、それを作品中でどう活かしたいかは、演出するしかないない。そこに踏み出していかないと、実際に自分が見たい映像は作れないっていうのがよくあります。

モスピーダ以降

メカニックデザインから、監督になっていく。

メカのサイズ感を正確にするのは難しいので3Dを使ったりした方がいい。硬いものをデザインするにあたって、アートミック時代から、実際の模型として作る、それをフィードバックすることに慣れていたので、3Dソフトを使うと、自分の手の内でどんどんできる。巨大ロボットも3Dを取り入れてるのもあるし、サンライズのように手描きの良さをうまく残して、表現しているところもある。色々なやり方があって面白い。

最後に

講演会では荒牧氏が大学時代に自主制作したアニメの一部が披露されました。パイロットが搭乗した戦闘機の戦闘シーンでしたが、カット割も工夫されててグイグイ引き込まれました。ものすごいクオリティです。素人の域は完全に超えてます。庵野監督もそうですが、1960年代生まれの方々ってやっぱりすごいなと感じました。

そして、あのモスピーダは、荒牧氏が東京に上京して半年でデザインした主役メカ。驚きました。まさに怒涛の展開です。当時は、叶わなかった完全変形するモスピーダやガーランドのフィギュアも発売されるようになりました。再販もされているようなので、この機会に手に入れてみてはいかがでしょうか。